日本語の格助詞はエネルギー逓減の法則にしたがって並んでいる(理論言語学史上に残る研究発表?) [エネルギー逓減の法則]
かなり、理屈っぽいことが書いてありますので、暇なときに読んでいただければと思います。
・日本語の格助詞は、一つの文章の中で Christopher Stones (Sartre 君の別名) の提唱する「エネルギー逓減の法則*1」に従って並んでいる。人間が文章を喋るときは意識して努めない限り、最初は勢いが良くて、次第にその勢いが弱くなると言うことです。
格助詞であるから、主格→第二目的格→第一目的格→動詞*2の順である。
A > (E) > I > O > U の 順
*1 エネルギーの法則とは、格助詞がア・エ・イ・オ・ウ( A, E, I, O, U )の順に並んでいるということです。この順は正面から口の開き具合を見た場合、その大きさがこの a ・ e ・ i ・ o ・ u の順で小さくなって行き、口から出る息(エネルギー)がこの順で小さくなって行くと
いうことです。声楽では、「a - e - i - o - u」と習う筈です。因みに「ア・イ・ウ・エ・オ」は音の高低順に並んでいます。「ア」「イ」「ウ」と「ウ」まで来て「ウ」でもって一番小さい口の開き具合になり、「エ」でもって二番目に大きい口の開きに戻り、「オ」でもって四番目に大きい口の開きで終る
のです。これでは、唇をすぼましてりまた大きくしたり、またすぼめたりで物理的に不合理です。ですから声楽では a > e > i > o > u と、たとえば、ta, te, ti, tou, too順で、続けて発音練習する筈です。
*2 「動詞」は日本語の場合普通文では必ず最後に来ます。「動詞」は、文章では主格(主語)の述語として必ずあるものです。格助詞はその直前の名詞を性格づけるものですからア・イ・ウ・エ・オのいずれかの行を取る筈です(主語には「は(わ)」か「が」があるように)が、動詞は基
本として5段階活用するものですし、5段階活用するものであれば、その中に必ず「u」を伴った行(ぎょう)「く・す・つ・ぬ・ふ・む・ゆ・る」がある筈です、「現在形(終止形)」以外の「未然形」などは現在形の「派生形」と取るべきでしょう。「u」を必ず取るとすれば「u」行を基準にすべきな
のです。そして「u」は5つの母音の中で口の開き具合が一番小さいですから「日本語の場合」文章の最後に来る筈です。ここでちょっと整理してみましょう。
たぶらかsaない → a = 未然形
たぶらかshiた → i = 連用形
「たぶらかsu → u = 終止形(現在形)」
たぶらかseる → e = 可能
たぶらかsoう → o = 意志
例文1: 「彼女は彼に薔薇を贈・った(ります*4)。」
: She (gave) gives a rose to him.
*4 上記の*2の説明を読んでください。
上記の例文は一番自然と思われる文として挙げてしまいました。次のような文も可能ですが、
・ 彼女は薔薇を彼に贈りました。〈やはり、上記例文の方が少し自然だと思います。「薔薇」を強調する場合はいいと思いますが。〉
上の例文で、格助詞を抜き出してみましょう。
「は(わ)」「に」「を(お)」「る」です。アルファベットで表わすと、「wa」「ni」「o」「ru」です。母音だけ拾ってみましょう。「a」「i」「o」「u」です。これは a > e > i > o > u の順序に適っています、「e」が抜けていますが。
** 上記の例文では場所と時間を表わす助詞が抜けています。文章はある事象を記述するものですが、主格(主語)、第二目的格、第一目的格、述語の他に重要な要素に「場所」と「時間」をあらわす「格」があります。この場所を表わす格には、「で」と「に」があるようです。「時間」を表
わす場合は格を必要といないばあいが多いようです、例えば「きのう」だとか。特定の時間を表わすのには「に」が使われるようです。場所を表わす格助詞「で(de)」或は「に(ni)」にしろ、特定の時間を表わす格助詞「に(ni)」にしろ、 a > e > i > o > u の順序を狂さないようにし
たほうが日本文としてはより自然のようです。たとえば、
例文2: 「太郎さんは自分ちで夕食にすき焼きを食べる(と言ってました)。」
a. 太郎さんは自分ちですき焼きを夕食に食べる(と言ってました)。〈これは余り言わないと思います〉
b. 太郎さんは夕食に自分ちですき焼きを食べる(と言ってました)。〈「夕食」の意味を強調してるようです。〉
d. 太郎さんは夕食にすき焼きを自分ちで食べる(と言ってました)。〈これは余り言わないと思います〉
e. 太郎さんはすき焼きを自分ちで夕食に食べる(と言ってました)。〈「すき焼き」を強調してるようです。〉
f. 太郎さんはすき焼きを夕食に自分ちで食べる(と言ってました)。〈これは余り言わないと思います〉
g. 太郎さんは自分ちで夕食にすき焼きを食べる(と言ってました)。〈これは例文と同じですが、「自分ち」を強調してる場合、これと同じ表現をとるのではないでしょうか。もっとも「自分ちで食べるんだって、太郎は・・・」と言う表現がありますが、ここではあくまでも「太郎さん」を
最初に持って来ることを前提としていますので〉
e. 太郎さんは自分ちですき焼きを夕食に食べる(と言ってました)。〈この表現は余り使わないと思います。〉
やはり、例文2が一番一般的だと思います。では例文2の助詞だけ(ただし最後は現在形の動詞の最後の音節)を抜いて並べて見ましょう。
「は(わ)」、「で」、「に」、「を(お)」、「る」の順序です。これを alphabet で表わしてみます。「wa」「de」「ni」「o」「ru」となります。これからさらに、母音だけを取り出してみます。「a」「e」「i」「o」「u」の順です。これはまさに A - E - I - O - U の順に他なりません。このように文の文節
の末尾が a > e > i > o > u の順序に並んでいることは、日本語がまだカキクケコというという音節が、k という1つの子音と、a, i, u, e, o という5つの母音計6つの文字から成り立ている利点を利用してない言語であり、未だに古代語に属する50音言語に留まっているからであ
り、助詞が盲腸のように残っている言語だからです。このことは視覚言語である漢字が導入されたことによって日本語は、50音が5つの母音と9つの子音から成り立っている alphabet 系の言語に永久になり得ない言語になっていました(ここではスペース関係で説明不足の感あ
り)。私の知る限り古代語に属する50音節言語は地球広しといえども日本語だけになってしまいました。母音5つと子音を含めて28文字のハングル文字はAD1446年に正式に公布されました。これまで漢字の一部使用の賛否両論があってなかなかハングル文字が定着しなかったの
ですが、日本が韓国を植民地化して不自然極まりない日本語を強要したので、反ってハングル文字の定着を遅らせられたことに気がつき、いまは国策として自信を持って(韓国、北朝鮮にはそれぞれ「ハングル」の記念日があります)ハングル文字の全面採用に努めている。韓国語
は100年200年後には英語や仏蘭西語、西班牙語、ポルトガル語、和蘭語のように純粋な音声言語にすっかり様変わりしていると思われる。日本はいまもってその微々たる兆候さえない。安倍総理、文部科学大臣は露にだにそんな心配はしてないようだ。漢字を借用し、漢字を変形
させて発音「記号」である「あかさたな」「ハマヤラワ」を場当たり的にその都度作って来、ただ安直な「便利さ」だけを求めて来た日本語といえます。
<以下の場面が出てくる映画「SINGIN' IN THE RAIN」のDVD版>
<ディンズモア発声法教室>
<右の女性から発声法を習っているところ: Ta, te, ti, toe, too.>
<Ta, te, ti, toe, too. 共通しているTを取れば、 a, e, i, o, u となる>
下の5枚の写真で、壁にかけられ、唇の開き具合を描いたパネルで、A,E,I,O,U順であることが分かる panel 「O」が「U」と「I」より大きく描かれているように見えるが、実際に発音してみると、「I」方が大きいのが分かる
ぼくの話はこれに留まりません。英語ももとを辿ればこういう言語だったことが考えられす。このページの下に載せてありますイアン・アーシーさんの本に拠れば、ギリシャ文字の前はやはり、日本語と同じように50音言語だったそうです。ですから古代ギリシャ語もこのように助詞と言う
ものが単語とくっ付いて文節を作り、主語、第二目的語、第一目的語、動詞が現在の日本語の順序と同じだったことが考えられます。それがインド発アラビア経由で alphabet 系(母音5つと子音9つで50音を表わせる)文字が伝わり、現在のギリシャ語、ラテン語、英語とつながっ
て来たのだと思います。古代ギリシャ語はクレタ島のミケーネ地方で使われた言葉で線文字が使われていたそうです。線文字Bは解読されていて、日本語のように50音節言語だったそうです(イアン・アーシーさんの本による)。残念ながらその前の線文字Aは解読されてないそう
です。ぼくの話はまだ続きます。
<写真はイアン・アーシーさんの「怪しい日本語研究室」の本の185 page です。 驚いたことに初期ギリシャ語は、現在の日本語のように50音節言語だったのです(p192)。 初期以降のギリシャ語は現在の英語系の alphabet の基になったギリシャ文字(現在では24文字)に
変わっている。 「か行」を、 k と a, i, u, e, o の6文字で表わすようになったのである。50音を9つの子音と5つの母音計14文字で表わすようになり、文字の数が非常に少なくなったにもかかわらず、単語の中で子音が単独で存在することができ、語彙が飛躍的に増加しうる言語
になった(そういう所為もあってソクラテス、アリステレス、アルキメデスなどが出ている?)。このプロセスが現在韓国語で行われている。単語の「語尾」が子音で終わるケースが多数を占めると、「助詞」が欠落して行き(これだけでは説明不足ですが)、「語順が入れ替わる」ようにな
り、構文も SVO 系に変わる。 あかさたなはまや・・・という50音言語を喋るのは日本人だけとなる>
古代ギリシャ人は線文字Bをつかっていたころ、あたらしい文字が入ってきて、50音が五つの母音と9つの子音で表わすことを知ったのです。AD1446年の朝鮮の世宗のように。そこから言語の大変革が起こったと思われます。子音が常に母音とくっ付いて発音されるのではなく、
独立して発音されるようになったのです。(つづく)
・英語もエネルギー逓減の法則に従っています。代名詞をとって説明します。(つづく)
「たぶらかす」出処: 「怪しい日本語研究室」 イアン・アーシー著 p186
- 作者: イアン アーシー
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
- 発売日: 2001/03
- メディア: 単行本
-
MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2014年3月追加)