続・日本語の格助詞はエネルギー逓減の法則にしたがって並んでいる(理論言語学史上に残る研究発表?) [エネルギー逓減の法則]
これは8月21日(2007年)の Blog の続編です。 ◆から◆◆までが前編の部分です。前編を読まれた方は、◆◆から読まれても結構です。今後とくにお断りしない限り、前編部分には、一貫性のない表現などを含めて、書き換えをしないことにします。
◆
かなり、理屈っぽいことが書いてありますので、暇なときに読んでいただければと思います。
・日本語の格助詞は、一つの文章の中で Christopher Stones (Sartre 君の別名) の提唱する「エネルギー逓減の法則*1」に従って並んでいる。人間が文章を喋るときは意識して努めない限り、最初は勢いが良くて、次第にその勢いが弱くなると言うことです。
格助詞であるから、主格→第二目的格→第一目的格→動詞*2の順である。
A > (E) > I > O > U の 順
*1 エネルギーの法則とは、格助詞がア・エ・イ・オ・ウ( A, E, I, O, U )の順に並んでいるということです。この順は正面から口の開き具合を見た場合、その大きさがこの a ・ e ・ i ・ o ・ u の順で小さくなって行き、口から出る息(エネルギー)がこの順で小さくなって行くということ
です。声楽では、「a - e - i - o - u」と習う筈です。因みに「ア・イ・ウ・エ・オ」は音の高低順に並んでいます。「ア」「イ」「ウ」と「ウ」まで来て「ウ」でもって一番小さい口の開き具合になり、「エ」でもって二番目に大きい口の開きに戻り、「オ」でもって四番目に大きい口の開きで終るので
す。これでは、唇をすぼましてりまた大きくしたり、またすぼめたりで物理的に不合理です。ですから声楽では a > e > i > o > u と、たとえば、ta, te, ti, tou, too順で、続けて発音練習する筈です。
*2 「動詞」は日本語の場合普通文では必ず最後に来ます。「動詞」は、文章では主格(主語)の述語として必ずあるものです。格助詞はその直前の名詞を性格づけるものですからア・イ・ウ・エ・オのいずれかの行を取る筈です(主語には「は(わ)」か「が」があるように)が、動詞は基
本として5段階活用するものですし、5段階活用するものであれば、その中に必ず「u」を伴った行(ぎょう)「く・す・つ・ぬ・ふ・む・ゆ・る」がある筈です、「現在形(終止形)」以外の「未然形」などは現在形の「派生形」と取るべきでしょう。「u」を必ず取るとすれば「u」行を基準にすべきなの
です。そして「u」は5つの母音の中で口の開き具合が一番小さいですから「日本語の場合」文章の最後に来る筈です。ここでちょっと整理してみましょう。
たぶらかsaない → a = 未然形
たぶらかshiた → i = 連用形
「たぶらかsu → u = 終止形(現在形)」
たぶらかseる → e = 可能
たぶらかsoう → o = 意志
例文1: 「彼女は彼に薔薇を贈・った(ります*4)。」
: She (gave) gives a rose to him.
*4 上記の*2の説明を読んでください。
る上記の例文は一番自然と思われる文として挙げてしまいました。次のような文も可能ですが、
・ 彼女は薔薇を彼に贈りました。〈やはり、上記例文の方が少し自然だと思います。「薔薇」を強調する場合はいいと思いますが。〉
上の例文で、格助詞を抜き出してみましょう。
「は(わ)」「に」「を(お)」「る」です。アルファベットで表わすと、「wa」「ni」「o」「ru」です。母音だけ拾ってみましょう。「a」「i」「o」「u」です。これは a > e > i > o > u の順序に適っています、「e」が抜けていますが。
** 上記の例文では場所と時間を表わす助詞が抜けています。文章はある事象を記述するものですが、主格(主語)、第二目的格、第一目的格、述語の他に重要な要素に「場所」と「時間」をあらわす「格」があります。この場所を表わす格には、「で」と「に」があるようです。「時間」を表
わす場合は格を必要といないばあいが多いようです、例えば「きのう」だとか。特定の時間を表わすのには「に」が使われるようです。場所を表わす格助詞「で(de)」或は「に(ni)」にしろ、特定の時間を表わす格助詞「に(ni)」にしろ、 a > e > i > o > u の順序を狂さないようにし
たほうが日本文としてはより自然のようです。たとえば、
例文2: 「太郎さんは自分ちで夕食にすき焼きを食べる(と言ってました)。」
a. 太郎さんは自分ちですき焼きを夕食に食べる(と言ってました)。〈これは余り言わないと思います〉
b. 太郎さんは夕食に自分ちですき焼きを食べる(と言ってました)。〈「夕食」の意味を強調してるようです。〉
d. 太郎さんは夕食にすき焼きを自分ちで食べる(と言ってました)。〈これは余り言わないと思います〉
e. 太郎さんはすき焼きを自分ちで夕食に食べる(と言ってました)。〈「すき焼き」を強調してるようです。〉
f. 太郎さんはすき焼きを夕食に自分ちで食べる(と言ってました)。〈これは余り言わないと思います〉
g. 太郎さんは自分ちで夕食にすき焼きを食べる(と言ってました)。〈これは例文と同じですが、「自分ち」を強調してる場合、これと同じ表現をとるのではないでしょうか。もっとも「自分ちで食べるんだって、太郎は・・・」と言う表現がありますが、ここではあくまでも「太郎さん」を
最初に持って来ることを前提としていますので〉
e. 太郎さんは自分ちですき焼きを夕食に食べる(と言ってました)。〈この表現は余り使わないと思います。〉
やはり、例文2が一番一般的だと思います。では例文2の助詞だけ(ただし最後は現在形の動詞の最後の音節)を抜いて並べて見ましょう。
「は(わ)」、「で」、「に」、「を(お)」、「る」の順序です。これを alphabet で表わしてみます。「wa」「de」「ni」「o」「ru」となります。これからさらに、母音だけを取り出してみます。「a」「e」「i」「o」「u」の順です。これはまさに A - E - I - O - U の順に他なりません。このように文の文節
の末尾が a > e > i > o > u の順序に並んでいることは、日本語がまだカキクケコというという音節が、k という1つの子音と、a, i, u, e, o という5つの母音計6つの文字から成り立ている利点を利用してない言語であり、未だに古代語に属する50音言語に留まっているからであ
り、助詞が盲腸のように残っている言語だからです。このことは視覚言語である漢字が導入されたことによって日本語は、50音が5つの母音と9つの子音から成り立っている alphabet 系の言語に永久になり得ない言語になっていました(ここではスペース関係で説明不足の感あ
り)。私の知る限り古代語に属する50音節言語は地球広しといえども日本語だけになってしまいました。母音5つと子音を含めて28文字のハングル文字はAD1446年に正式に公布されました。これまで漢字の一部使用の賛否両論があってなかなかハングル文字が定着しなかったの
ですが、日本が韓国を植民地化して不自然極まりない日本語を強要したので、反ってハングル文字の定着を遅らせられたことに気がつき、いまは国策として自信を持って(韓国、北朝鮮にはそれぞれ「ハングル」の記念日があります)ハングル文字の全面採用に努めている。韓国語
は100年200年後には英語や仏蘭西語、西班牙語、ポルトガル語、和蘭語のように純粋な音声言語にすっかり様変わりしていると思われる。日本はいまもってその微々たる兆候さえない。安*総理、伊*文部科学大臣は露にだにそんな心配はしてないようだ。漢字を借用し、漢字を
変形させて発音「記号」である「あかさたな」「ハマヤラワ」を場当たり的にその都度作って来、ただ安直な「便利さ」だけを求めて来た日本語といえます。
<以下の場面が出てくる映画「SINGIN' IN THE RAIN」のDVD版>
<ディンズモア発声法教室>
<右の女性から発声法を習っているところ: Ta, te, ti, toe, too.>
<Ta, te, ti, toe, too. 共通しているTを取れば、 a, e, i, o, u となる>
下の5枚の写真で、壁にかけられ、唇の開き具合を描いたパネルで、A,E,I,O,U順であることが分かる panel 「O」が「U」と「I」より大きく描かれているように見えるが、実際に発音してみると、「I」方が大きいのが分かる
ぼくの話はこれに留まりません。英語ももとを辿ればこういう言語だったことが考えられす。このページの下に載せてありますイアン・アーシーさんの本に拠れば、ギリシャ文字の前はやはり、日本語と同じように50音言語だったそうです。ですから古代ギリシャ語もこのように助詞と言う
ものが単語とくっ付いて文節を作り、主語、第二目的語、第一目的語、動詞が現在の日本語の順序と同じだったことが考えられます。それがインド発アラビア経由で alphabet 系(母音5つと子音9つで50音を表わせる)文字が伝わり、現在のギリシャ語、ラテン語、英語とつながっ
て来たのだと思います。古代ギリシャ語はクレタ島のミケーネ地方で使われた言葉で線文字が使われていたそうです。線文字Bは解読されていて、日本語のように50音節言語だったそうです(イアン・アーシーさんの本による)。残念ながらその前の線文字Aは解読されてないそう
です。ぼくの話はまだ続きます。
<写真はイアン・アーシーさんの「怪しい日本語研究室」の本の185 page です。 驚いたことに初期ギリシャ語は、現在の日本語のように50音節言語だったのです(p192)。 初期以降のギリシャ語は現在の英語系の alphabet の基になったギリシャ文字(現在では24文字)に
変わっている。 「か行」を、 k と a, i, u, e, o の6文字で表わすようになったのである。50音を9つの子音と5つの母音計14文字で表わすようになり、文字の数が非常に少なくなったにもかかわらず、単語の中で子音が単独で存在することができ、語彙が飛躍的に増加しうる言語
になった(そういう所為もあってソクラテス、アリステレス、アルキメデスなどが出ている?)。このプロセスが現在韓国語で行われている。単語の「語尾」が子音で終わるケースが多数を占めると、「助詞」が欠落して行き(これだけでは説明不足ですが)、「語順が入れ替わる」ようにな
り、構文も SVO 系に変わる。 あかさたなはまや・・・という50音言語を喋るのは日本人だけとなる>
古代ギリシャ人は線文字Bをつかっていたころ、あたらしい文字が入ってきて、50音が五つの母音と9つの子音で表わすことを知ったのです。AD1446年の朝鮮の世宗のように。そこから言語の大変革が起こったと思われます。子音が常に母音とくっ付いて発音されるのではなく、
独立して発音されるようになったのです。(つづく)
・英語もエネルギー逓減の法則に従っています。代名詞をとって説明します。(つづく)
「たぶらかす」出処: 「怪しい日本語研究室」 イアン・アーシー著(文庫) p186
◆◆ (つづき)
今回は、枝葉的なことを交えながら、主に次のことについて話します。
(1) 50音系の音声から alphabet 系の音声に変ると、言語の大変化が起きる。
(2) 大変化とは、「助詞」がなくなり、語順が入れ替わるということ。
(3) Alphabet 系の音声になると基本的な構文は、「エネルギー逓減の法則」に従う必要がなくなり、他の基準で語順が並べ変わるということ。ただし、英語においては部分的に「エネルギー逓減の法則」が働いていることが分かります(「英語」を例に挙げれるのは、わたくしがそれ
以外の言語については断片的な知識しか持ち合わせてないからです)。
例文3: Catherine (gave) gives roses to him.
: 「キャサリンは彼に薔薇を贈・った(ります)」
例文3は、現代英語です。各単語*4の末尾の発音を見てください。この場合すべて「子音」か「u」で終わっています。子音の発音記号と u を抜き出すと、「n」「v」 or 「z」「z」「u」「m」 です。この例文は筆者が故意に作ったものですが、現代英語は子音で終わる単語が 非常に多いです。
Major どころでありません。動詞の過去形まで「子音」になっています。子音、子音といいますが、子音を少し考察してして見ましょう。「子音」は厳密な意味で言うと「音」を伴わない「無声音」で、発声器官の形だけの概念です。理論的には子音は母音と一緒に発音されて始めて有声音
になるものです。「v」は上の歯を下唇を噛んだ形、「th」は舌の先を歯と歯の間にはさんだ形、「m」は上下の唇をつぐんだ形、という具合です。とはいえ、子音をすべて無声音にしとくと聞き手にとっては判らないわけです。ですから例えば「dimple (えくぼ)」という単語は子音が3っ続
いていますが、最初の「m」はほとんど無声音で唇をつぐんでいるだけですが、真ん中の「p」と最後の「l」には、僅かながらも母音の「u」を付けているようです。またたとえば Marylin Monroe の持ち歌で 'Diamonds Are A girl's Best Friend' というのがありますが、
その歌の中で、'...and gives expensive jewels' では 've' の部分が全然聞こえませんし、'But diamonds are a girl's best friend.' の最後の「d」も聞こえませんし、'A kiss may be grand.' の「d」も聞こえません。 Native speaker の話している会話の中に「patrol」が
あったとします。このなかの「t」などは聞き取れにくい程の小さな「t」で、「l」にあっては舌先を歯茎のうしろ辺りに着けるだけで、音を出さない場合が往々にしてあるでしょう。それでも意味が分かるのは文章の脈絡からだと思います(英語を習うのって日本人にとっては本当に難しいで
すね、ですから米国の vocal (音楽)を努めて聞き、楽しみながらよく聞き取れるようにしとくのも一つの方法でしょうね)。整理して言うと、子音は口(発声器官)の形だけで発音されなかったり、きわめて弱い「u」を伴って発音されたり、よわい「u」と伴って発音されたり、まれですが日
本人のように強い「u」を伴って発音されたりします。
*5 「単語(品詞)」で、英語にはわたくしが知っている限りでは意味の無いものは無いようです。これも英語の特徴です。日本語には、音があって意味がない品詞があります、それは「助詞」です。と「助動詞」かな。このように、音があって意味が無い品詞(助詞)が重要な役目を負って
いることが、日本人の性格造りに影響を与えているのかも知れません。
MyLink 声帯と言語の関係について & Diamonds are a ...
まれなケースですが文章を構成するすべての単語が例文3のようにすべて「u」で終わるようになったら「エネルギー逓減の法則」を適用する必要があるでしょうか。否、もう物理的な「エネルギー逓減の法則」が働く余地はありません。なぜなら、すべて「u」で終わるなら、消費するエネ
ルギーが単語毎にすべて同じになって、順序というものがなくなり(従来の順序から開放されて)、今度は他の条件で順序付けられるようになります。他の条件とは「意味合いの強さ」ということになります。これが、言語の大変革なのです*6。
*6ここで哲学的な命題が生まれます、つまり「同等に扱われて(すべての人が平等に扱われて、つまり差別がなくなると)さらに前進するステージに入るのではないか」という命題が。
例文3を観て、考察してみましょう。
a. キャサリンは「彼に」・・・。
b. キャサリンは「薔薇を」・・・。
c. キャサリンは「贈りました」。
この、a, b ,c の完成されてない文章で、主語の「キャサリン」に意味合いが強い順序はどうなるでしょうか。
c の場合、「何を」という言葉がすぐ出てきそうです。贈るもの種類は沢山あるけれども、「キャサリン」が何かを「贈った」ということが即座に分ります。
b の場合は、「活けました」とか「植えました」とか「切りました」とか「投げつけました」とか「踏みつけました」とか大分選択肢が狭まるようでが、肝心の「主語」の「様態」が分らない。
a の場合、皆目といってよいほど見当が付かないと思います。それゆえ、主語「キャサリン」との意味合いが一番薄いかもしれません。では、主語に意味合いの強い順がら並べてみましょう。
・ キャサリンは・「贈りました」・「薔薇を」・「彼に」の順になります。これを英語の置き換えてみましょう。
・ Catherine gave roses to him. となります。英語は意味合いの関わりが深い順に並んでいるのです。「物理的なエネルギーの順」で並んでいるのではありません。観念の世界の順序といいますか。
結論: 「あかさたなはまやらわ」の50音で成り立っている言語には「助詞」というものがあって、文章における助詞と動詞を加えた順序は、「エネルギー逓減の法則」に従って「あ・え・い・お・う」(alphabet で A > E> I> O > U)であって、「動詞」が最後に来る。社会が高度になって
来ると語彙が豊富になる必要性が生まれ、50音言語では足らなくなり、「あかさたな・・・」の50音が5つの母音と9つの子音の計14の文字で表わせること気づき、子音が常に母音とくっ付いて発音されることがなく単独で使用される alphabet 系の言語に移行して行き、単語の最
後が子音で終わる(「u」で終わる)ケースが多くなる。「u」で終わるケースが多くなると「エネルギー逓減の法則」が働く必要がなくなり、「主語」との「意味合いが強い」文節から並ぶようになる。そうなることによって、「助詞」が欠落してゆく。日本語に「助詞」があるのは、文字の無か
った50音言語のときに高度に発達した視覚言語の「漢字」を取り入れたからであり、日本は朝鮮半島の民族がしているように、機能が alphabet によく似た文字を創造してそれを果断に実施しなければ、永久に50音節を使い続ける民族となる。そして、日本語は元々純粋な音
声言語であり、そこへ視覚機能の非常に強い「漢字」を部分的に利用してるのは根本的に問題がある、ということです。
**面白い観察 (これは、誰にも教わらずに、Christopher Stones [Sartre 君の別名] が気が付いたことです)
例文3: Catherine/ gave/ roses/ to him.
: 「キャサリンは/ 彼に/ 薔薇を/ 贈った。」
例文3の日本文を細長い短冊に書いて、書いた方を外側にして、両端のノリシロを糊で貼り付けてみましょう。そして主語から反対方向に読んでみましょう。英文と全く語順であることに気が付くでしょう。これは何を意味するのでしょうか。日本と英語の世界は全く反対ということでしょ
うか。正直なところ分りません。もう二例挙げましょう。
例文3は筆者が考えた文ですが、私情の入らない視点から考察するために、英語の学習書から選んだ文を例に取りましょう。参考にした学習書は、次の通りです。( )内は掲載ページです。
1. I/ went/ to one/ of those restaurants/ last night. (p 71)
1. ([僕は/] 昨日の晩、/ そういう店の/ 1つに/ 行ったんだ)([ ]書きは筆者挿入) (p 71)
2. I/ plan/ to enter/ a beauty contest/ nest year. (p 121)
2. ([私は] 来年美人コンテストに申し込もうと思うの)([ ]書きは筆者挿入) (p 121)
これらも、上のように短冊に書いて丸くして読みますと、主語を始点とし互いに反対方向に読みますと、順序はぴったかんかんです。
・英語もエネルギー逓減の法則に従っています。代名詞をとって説明します。(これについては、次回にさせていただきます)
<Niagara Falls from Canadian side in May 2007>
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MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2014年4月追加)